13 11月

「法螺貝願望=法螺(ホラ)を吹くだけでなく、自らの生き方をたたせとする説法願望」

今の世の中で言われる「『喪失体験』とは、なぁ~に?」とたずねたい。
可愛がっていたペットが亡くなったからとか、愛する両親や身内、そして愛する子供が召されたからとか、親しくしていた知人が召されたからとか、その理由は多様な広がりをもつ。
また、今の今まであった物質的現実が目の前から「喪失」することからくる「悲観感情」、それに翻弄され「心的影響」・「身体的影響」・「社会的影響」がある。
私の体験を通してしか言えないが、以上の内容は、決して否定できない涙ともなう現実がある。だが…、それだけであろうか。私の最大の心的・身体的・社会的打撃なる「喪失体験」がなんであるかを敢えていうならば、「人間が人間の心の純粋な働き=精神を奪(うば)うことなり」である。
私は、私の存在をそこから避難させてあげたい。生きるために、生き抜くために法螺貝になって。それが私には、決して理想や妄想ではない。現実的実現主義者であると信じて、法螺を吹く私でありたい。